毎年2月に開催されるカーニバルなど活動的で熱気に満ちたイメージのあるリオデジャネイロですが、それとは裏腹にどこか不思議な大人しさも漂う街です。今回はイパネマのビーチに始まり、コルコバードのキリスト像から夜のボサノヴァライブに至るまで、リオで過ごした1日をご紹介致します。
(※この記事は新型コロナウイルス感染拡大前の2019年の情報をもとに作成されています。)
2大ビーチに歩いて行けるホテル
今回私が宿泊したホテルは「Atlantis Copacabana Hotel」(アトランティス・コパカバーナ・ホテル)。観光客で賑わうコパカバーナのビーチまで歩いて5分程の好立地です。
あのミラクルひかるさんも歌った『イパネマの娘』の舞台となったイパネマにも隣接しています。
コパカバーナ・ビーチとイパネマ・ビーチのどちらにも至近という立地は素晴らしいと思います。その上、価格も高くなく設備も整っているホテルは他にないのではないでしょうか。
イパネマの娘が確かに歩いたビーチ
ボサノヴァの名曲『イパネマの娘』は、アントニオ・カルロス・ジョビンが作曲し、ヴィニシウス・ヂ・モライスが作詞しました。2人がこの近くのバーに通っていた頃、そこへタバコを買いに来た少女エロイーザと出会ったことが歌の誕生するきっかけとなりました。
優雅な旋律に溶け込む、深くピリリとした悲しみを孕んだ歌詞。イパネマの街に立ち込める空気の一面に、確かにそれと同じものがあるように感じられます。
南半球の太陽の強さが、体を内側から焼いて異国人に変えていくような感覚に溺れていると、目の前をパレードが通り過ぎていきました。パレードと言っても3、4人の若者が太鼓を叩くともなく叩きながら歩いているだけなのですが、そのリズムが誠にサンバなのです。そして、彼ら一人一人のリズムが息をぴったりと重ね合わせて、心をざわつかせるような音楽に。質素な太鼓だけでどうしてこんな音楽を作り出せるのでしょう。儚くも、忘れられない出来事でした。
それから、隣の町から来た日本語を学んでいるという少年と話しました。彼は、Perfumeの音楽と出会ったことをきっかけに日本語を学び始めたそうです。いつか日本に行くのが夢だと話していました。
砂浜で一緒にジュースを飲みながら話していると、彼が「マリファナの匂いがするよ」と教えてくれました。言われてみると、確かに何か匂うような……私は灼熱のビーチで、図らずも禁じられた香りを知ってしまったのです。治安の良いとは言えないこの街で、自分の暮らしを守りながら淡々と生きる人の姿を見たような気が致しました。(ブラジルでは大麻の少量所持が非犯罪化されましたが、合法ではありません。)
その後、彼の連れてきた2人の妹と一緒に海の中で輪っかになって遊びました。
熱々のフェイジョアーダを召し上がれ
ブラジルの郷土料理と言えば、フェイジョアーダ。豆や豚肉、ソーセージなどを煮込んだお料理です。私が今回お昼をいただきに訪れたのは「Casa da Feijoada」(カーサ・ダ・フェイジョアーダ)。リオデジャネイロ唯一のフェイジョアーダ専門店です。
暑い日に熱々のお料理!? と思われるかもしれませんが、滋養豊かなフェイジョアーダをいただいていると、体の奥深くの眠っている部分に点火される感じで元気が出てきます。
かなりプリミティヴに素材の味をかっ喰らうという感じのお料理です。
コルコバードの丘へ上りキリスト像を拝む
リオデジャネイロと言えばこれ! という印象もあるキリスト像ですが、あまり期待して行くと拍子抜けするかもしれません。キリスト像と、多くの観光客と眺望があるという程度です。
(あくまでも個人の意見ですが……)
ロープウェイのような趣のある登山電車で行く方法が最も一般的ですが、私は今回タクシー(Uber)を利用致しました。というのも、途中道脇の壁に連綿と描かれているグラフィティを見たかったのです。
(※動画からの切り抜きなので、画像が粗くなっております。)
様々なタッチの絵がありますが、どれにも血が通っている感じが致します。この坂道に限らず、リオデジャネイロでは至る場所に貧富の差などをテーマにした、メッセージ性のあるグラフィティが存在します。
タクシーを降り、チケットを購入しバンに乗り込むと、標高はさらにぐんぐんと上がっていきます。そして……
ついにキリスト像のお足元にたどり着きました。世界中からやってきた観光客が登頂の喜びを分かち合いながら、楽しそうに記念撮影をしています。
ツーリズムが死に瀕している今になって見返すとしみじみする写真です。
gilsonmartinsでリオのセンスが詰まったお土産を
「gilsonmartins」(ジルソン・マルチンス)は、ホテルから歩いて行ける距離のショッピング街にあります。2019年頃から日本国内でも取り扱うお店が出始め、目にする機会が増えました。
リオデジャネイロのシンボルとも言えるキリスト像や波模様のタイル、奇岩ポンジアスーカルなどが描かれたバッグやポーチ、革小物などが取り揃えられています。カラフルなレザーの他、ビニール、メッシュなどの素材で作られたアイテム達は、見た目が可愛いのはもちろん、使いやすくするために色々な工夫が施されています。
見た瞬間にブラジルのデザインであることが分かるお品物の他、いかにも南米の都会を感じさせるセンスに溢れたアイテムが数多くラインナップされています。
“
商品画像の出典:gilsonmartins公式サイトhttps://www.gilsonmartins.com.br/
”
Little Clubでボサノヴァと夜の濃度に酔う!
今回私が楽しみにしていたイベントの1つがこちら、「Little Club」にてライヴを聴くことでした。同じ敷地にある他の何軒かのバーと合わせて「BECO DAS GARRAFAS」(ボトルの散らかった路地といった意味)として経営されているようです。
こちらでは、BOSSA NOVA EVERY NIGHTと称して毎夜日替わりでアーティストが出演。この夜は歌手にDilma Oliveiraという方がお出になり、『イパネマの娘』『ワンノートサンバ』『波』……これでもかという程有名なナンバーが続々と演奏されました。Oliveira氏はボサノヴァのイメージの真逆を行く力強い歌声でお客さんのテンションをリード。パーカッション奏者はだいぶご年配の方、対照的にピアノを奏す若者……彼らが一体となって音楽を作り出すライヴに私もノリノリになりながらも、心のどこかで地球の裏側に置いてきた自分の人生について考え始め神妙な気持ちになりました。
おわりに
リオデジャネイロの街を歩くのは私にとって新鮮な体験でした。常にどこかで音楽が鳴っていて、けれどそれが何というカテゴリの音楽なのか徐々に分からなくなってくるのです。そして、今まで見たこともない顔つき、見たこともない体型、見たこともない服装……の人を多く見掛け、強烈に異国情緒を感じました。滞在中、アジア系の人はほとんど見なかったので、現地の人から私も同じように思われていたかもしれません。
ポルトガルの入植以来、ブラジルの文化は独自の発展を遂げてきました。ボサノヴァも、文化の濁流から生まれた音楽の一つ。
そして今、貧富の差が独特の街並みを形作り、鮮烈なグラフィティを生み出しています。
人も音楽も混ざり合い、分かれ合いの繰り返し。そこに正や負といった言葉で断ずることの出来ない大きな潮流があるように感じられました。
今では夢のように聞こえる話ですが、2010年頃までJALは北米経由でブラジルのサンパウロへ就航していました。途中で体調を崩すわけにはいかないパイロットやCAの緊張感はいかばかりだったかと想像します。また、機内でサービスに使用するアイテムは、日本へ帰る最後の便まで大切に管理する必要があり、気の抜けないフライトだったと思います。
今回は、ヨーロッパ経由で帰国しました。ヨーロッパは厳しい冬。気温差が激しく、気の緩みもあってか帰国後に風邪を引いてしまいました。皆様もどうぞ帰りの飛行機にお乗りになる前にしっかりと海のしずくを切って、素敵な思い出だけ携えてお帰り下さい。
コメント